参考書が分かりにくいのは文化なのか!?
最近、資格試験のために勉強をしているのだが、なんで参考書はあんなに難しく書くのだろうか。
文章の書き方が下手くそとしか思えず、こちらに伝わってこない。
文章自体は頭のいい人が書いているのだろうから、例えるならば、サッカー日本代表選手が小学生にいきなりフォーメーション理論について語っている感じである。
資格商法として、この資格が通学や通信で講座を開いているので、テキストはわざと不親切に書いているのかもしれない。参考書が分かりにくいのは、もはや文化なのだ。
今回は、分かりにくい文章とはどのようなことなのかを書いてみた。
そもそも何のための文章か分からない
分かりやすい文章とは、最初に結論から書くのが良いとされている。逆に分かりにくい文章は、過程を1つ1つ述べているものと言われている。
確かに、過程を1つ1つ書かれても、そもそも何の話なのか分からないので、見ている方は知らんがなって感じになる。
いま読んでいる参考書はまさにこれ。何のための文章なのか説明が無いため分かりにくい。
抽象的に書かれている
参考書として理論を書いているからしょうがない部分はあるとは思うが、いま読んでいる参考書は抽象的すぎて分かりにくい。
例えるならば、往年のスーパースターが子供を指導する際に「ガーッとやれ!!」「感性を信じろ」みたいなアドバイスをしてる感じ(ちょっと違うかもしれないが・・・)
一般的に分かりやすい文章とは、具体的に書かれているものとされている。確かに、具体的に書かれていると読者は想像しやすいので分かりやすい。
専門用語を多発する
参考書によくあることだが、一般的ではないだろうと思えることまで普通に使ってくる。分からないのはこちらが悪いのかと思えるぐらいに、さらっとカタカナ化された専門用語を放り込んでくる。
専門用語を使うことは悪くはないけど、使う前にもっと説明をしてほしい。
全体から説明していない
分かりやすい文章とは、全体を説明してから、詳細へ進めていくことと一般的には言われている。読んでいる参考書を見ていると、この法則に則っていないので分かりにくくしている印象を受ける。
この文章が何を表しているのか読者に分からせないままに詳細を述べているので、読む方をさらに混乱させる。
正直言って、読んでいるともっと上手く書く方法あるのではないかと感じてしまう。
相手に伝わらないと意味がない
これは自分の経験談だが、どんなに内容が良いと思っているプレゼンをしても、相手に伝わらないと会議の場がしらけてしまうという経験をこれまで幾度となくしてきた。
しらけた原因は相手が望んでいる内容でなかったり、レベルでなかったことであったのだが、発信されるものは受け手が正しく受信しないと意味がない。
過去のその経験から考えると、いま読んでいる参考書は自分の要望を満たしていない。むしろ、こんな文章を書いてしまうぐらい不満に感じるぐらいだ。
別の視点で考えると、難しい文章しか書けない人のものを、難易度を下げて翻訳するだけでビジネスとして成り立つような気がする。
気が向いたら、このブログでも取り扱ってみよう。
たぶん、ドラッカーとか、7つの習慣の漫画がよく売れるのは、この理由なのだろう。歎じたんでエッセンスを吸収できるのでオススメ。