猶あらじ

書きたいことを書きたい時に

五代友厚て何者なんですの

follow us in feedly

五代友厚て何者なんですの

朝ドラの「朝が来た」にてディーン・フジオカが熱演して話題の五代友厚。

日本史を勉強してきた自分でも明治初期の実業家?みたいな印象しかなく、スラスラと答えることができない。


そこで、五代友厚は何をした人なのかを調べてみた。

www.jpreki.com



朝ドラでも描かれているけど、大阪経済の発展に貢献した五代友厚。

1836年に薩摩国鹿児島城下で生まれた五代友厚(才助)は、元服後の1857年に長崎へ遊学し長崎海軍伝習所にて勝海舟と知り合い、約3年間、オランダ士官から航海術を学んだ。

その後、藩より舟奉行副役に任じられると、薩摩藩の汽船購入の為に中国上海へ渡る。上海でドイツ船を購入し長崎へ回航した。その船は天祐丸と命名され藩船の船長となり、イギリス商人のグラバーとも交流を持った。

1865年に欧州視察に旅立つ。

おそらく、大坂であさに出会ったとのは(袖の中にピストルが入るシーン)この少し前なのだろう。

欧州視察では、イギリス、ベルギープロシア、オランダ、フランスなどを訪れている。

明治新政府樹立後は、ドラマに描かれているとおり。大阪活躍した後、横浜へ転勤したが民間へ下野している。大阪造幣局があるのは、この当時に五代友厚が誘致したからである。

民間としては、日本で初めての英和辞書の刊行、紡績業、鉱山業、製塩業、製藍業などの産業発展に尽力した。

1878年には大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立した。上記以外にも川崎汽船商船三井南海鉄道の設立にも関わってる。

歴史の教科書に残るような活躍はないのだが、明治後の日本経済の発展の礎を築いた人と言える。